“ニドゥオンゲ
+Djembeのリズム隊”
これがほぼ100%の割合でナイロビにあるグループのスタイルだ。
たまに、これにブンブンブと云う太鼓がベースで加わる。
このスタイルは95年〜2000年ぐらい迄に出来上がったスタイルだ。実際、国立劇場に出入りする幾つかのグループが
国外(主に欧州)へ行った帰りにDjembeを持ち込みンガラビやオハングラに代わるソロ太鼓として使われ始め、僕自身が
幾つかのグループや何人かの太鼓職人にDjmebeの紐を締め直してあげた覚えがある。
そして忘れてはならないのが
このスタイルを築き上げたのはイディ・アズィズとマーシャ
と云う二人の偉大な太鼓叩きだったと言う事。
二人とも現在は欧州に拠点を移し、コンガやらDjmebeやらギターを弾いて活動している(苦笑)
まあ、この二人は特に私と親しい間柄でもあったし、二人の凄さは僕が一番よく知っている(イヤと云うほど)
98年〜2000年の2年間、この二人が所属した
“アフリカン・トゥンバ”
のライブはナイロビの知人達と一緒によく観に行ったもんだ。
当時、ライブ中でもステージ上でマーシャとイディがお互いに火が着くと踊り手はおろか、誰もついていけないようなデッド・ヒートを繰り広げた。
あの時代、この二人のリズム隊は、誰の目から見てもブッチギリにダントツで一番凄かった。
ただ、当時はケニアのNGOMAを主体としたグループのスタイルが出来上がる前の時代で
何処のグループも自分達の(ケニア独自の)スタイルを模索していたのだが、、、
さて、マーシャ&イディと云う二人の偉業、才能を讃えるには僕も吝かではないが
結論から先に云えば僕は
“ケニアのグループがDjembeを叩いた時点で終わり=負け”
だと思っている。
例えば、煙草を毎日2箱も3箱も吸い続け100歳まで生きた人がいるとする、だが、誰も
煙草を吸い続ける事が長生きの秘訣だと思う事は無いだろう。つまり
「Djembeだろうが何だろうが、只の太鼓だろ?」と云うのはある意味では正しいが
そんな台詞を言える人は数限られた人間だけなのだ。
実際、彼らが欧州へ拠点を移しケニアを離れた現在
ニドゥオンゲ+Djembe+幾つかの太鼓アンサンブルは厚化粧のブスなババアのような、、、
背脂でギトギトのうえに、更に質の悪いラードでギンギラギトギトのラーメンのような(これは食べてみたいかも?)
ただ不細工に重なり合うだけのアンサンブルに終始している感がある。
ニドゥオンゲがある程度、全てカバーしてしまうので、組み合わせの妙たるアンサンブルが皆無で
しかも、音量で各太鼓に差があるので、ブルンディ&ルワンダのような音圧のアンサンブルは求められるワケもない。
全くの失敗作だ。
何人かを除き国立劇場等にいるフリーランスの太鼓叩きは、ナイロビで学び始めた輩が多く下地が無いので
簡単なチャプオの仕組みさえ理解できない事が多い。
これでは幾ら才能があっても無駄にするだけだ。
一方、ボーマス・オブ・ケニアには各NGOMAのスペシャリストや、マルチ・プレイヤーも多いが(最近ではめっきり数が減ったが)
労働条件や上層部の無能さから創作的な意欲が乏しい
僕は以前、マシャリキ・オールスターズと云うグループを率いて活動していた。
このグループの存在意義は私が自分で選んだメンバーが揃い、お互い所属する団体の壁を越え、そこに日本人の僕が加わる事により
NGOMA的化学反応を起こし、新たにケニアのNGOMAが進むべき道を生み出す、と言うモノだった。
総勢約18人の大所帯で、数回の公演を概ね好評で重ねてきたが
僕自身が活動資金繰りであくせくし、クセのあるメンバーが多かったのでそのまとめ役に終始し
奏者としての自分のジレンマと、資金繰り等で破綻し活動を休止してしまった。
ケニア国内、日本の支援者達には申し訳ないと思っているし
僕の我が儘に付き合ってくれたメンバー達にも申し訳なく思っている。
数回、新しい方向性を見いだせるか?という場面もあったし
少なくとも毎回、ケニアのNGOMAを代表する各メンバーの気概とその名前に恥じないステージをしてきたと思う。
しかし、僕を通ってNGOMAの世界に入り、それで飯を食っている連中は何なのかね?
僕が全てお膳立てしたからこそ、もの凄い短期間で上達し人前で見せられるレベルまで行けたというのに
それが逆に仇となって、その各NGOMAだけに特化し、下らないちっぽけな身内感情だけで選んだメンバーで
無知を逆手に取り、結局のところ
“ケニア=マサイ族” のイメージを “ケニア=○○族”
に変えただけに過ぎないのじゃあないかね?
どうして、ケニアのNGOMA全体の危機を感じ、動く事が出来ないのかね?
自分と親しい連中の為だけに動くならば私利私欲と大差はない。
まあ、受け入れる日本人達も、「別に楽しきゃイイじゃん?」と云う連中が大半なのだろうし
それじゃあ、仕方がないか!と諦めるしかないのかね?
しかし、僕はそういった自分の無知を億尾もなくひけらかすには抵抗があるし(恥かしいじゃん?やっぱり)
数多くの知られざるNGOMAの名手や、厳しい条件で活動を続ける沢山のナイロビの奏者・踊り手達と関わり過ぎた。
このHP制作も今まで繰り返してきた、自分が費やした無駄な時間を省くために行ってきては裏目に出る一連の愚行に過ぎないのか?
もの凄いジレンマに襲われる。
若し、ギリアマだけ、ガンダだけ、ルヒヤだけで後は「オリジナリティー」と云う名の詭弁で逃げて
勝手なキャリアを築けたらどんなに精神的に楽だろう。
勿論、僕が自前でキチンと話せるレベルのNGOMAは数限られているし、それらは100%僕の好みで選んだNGOMAだ。
しかし
Djembeなんぞ使わずに、ケニアの楽器だけでも色々と相性を探せば新たな、面白い、独自のスタイルが出来てくる筈だ
と思っているし、そして、そこにしかケニアのNGOMAの未来は無いと確信している。
まあ、現実を見れば、非常に先行きは暗く、キプシギのリラやミジケンダの親指ピアノと同じように
「昔、そういったNGOMAがあった」
となってしまうのだろうなあ、、、
兎に角、過去にマーシャ&イディという凄い才能を持った太鼓叩き二人が、色々な便宜上使っていた(又は落ち着いた)
ニドゥオンゲ+Djembeのリズム隊アンサンブルには、大きな忘れ物、大きな間違いがあるような気がしてならない。
「じゃあ、他に何があるんだよ!?」
と訊かれれば、即答できるワケじゃあないけれど、、、
実際に試行錯誤した例は客観的、且つ具体的にNGOMA資料室で述べるとして
人間自分自身が一番可愛くて、そこから段々と家族〜親しい友人達と広がっていくけれど
そんな事は当たり前じゃん!?
全部一人でやらせれば全滅だし
面倒みてやりゃ自分勝手なバカを増やすだけだし
まあ、仕方ないのかもな。
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