ケニアの首都ナイロビにはボ−マス・オブ・ケニアと云う国営の民俗村がありそこではケニア各民族のNGOMAを観る事が出来る。
また、別の場所に国立劇場もあり、そこには国立舞踏団はいるのか?と云うと、そんなモノはありゃしないのだ。
この辺がケニアのNGOMAを取り巻く状況を象徴していると思う。
僕自身は初めてケニアを訪れた時に学校の特別講義でデイスター大だかケニアッタ大だかの教授に
“植民地時代にその手のモノは絶え果てた”
と教わった。
しかも、帰国後、その手の情報を日本で集めてみても、一応の識者達の見解も同じようなモノばかり。。。
しかし
その後のケニアでの経験で
“んなこたぁ、ねーだろ!”
と云う結論に達し、様々な形でこの間違った通説を打破しようと
努めてきたが、僕自身の器量不足と、ケニアのNGOMAを取り巻く状況を深く知れば知るほど
状況はとても厳しく、憂鬱な気分になってしまう。
“東アフリカの玄関口”
と呼ばれるケニアだが、NGOMA的には隣国のウガンダ・タンザニアに比べ
お粗末な国だと言わざる負えない。
各種善意に溢れるNGOやボランティア団体も目先の問題だけで終始し
人間は飯喰って、クソして、寝てだけじゃない筈なのに
困窮している人々に手は差し伸べるが(金も集まる) その文化・芸能については腐れ外道的な接し方が大半で
その文明的発展の悪循環を推し進めるだけの存在に終始している。
しかし、僕からは許し難き腐れ外道達も、其々に家族を持ちその腐れ家業を糧として生活していて
それを知った僕はただ自分の情けない気持ちと、彼らへのやるせない気持ちで潰されそうになっている。
どこにも出口=答えの無い複雑に絡み合った大問題
このNGOMAの世界に入るきっかけの大師匠の葬儀、3回忌も出てない恩知らずの僕は
精々、このHPをある程度カタチにする事と
まだ、残った最後の粋な芸人達の衰退を見つめ、その終わりまで付き合うぐらいが関の山だ、と思っている。
参ったね、どうも。。。
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