キリギリスの言い分



元々はイソップ童話だったのか?蟻とキリギリスと言いうお話。

僕が知っているくらいだから、日本でも結構広く知られている筈。

“夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。

やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、

「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られ、キリギリスは餓死する”

と言うお話。

「今から将来の事を考えて準備しておかないと、後で何か起こった時に大変なことになるぞ〜!!」

と言う脅迫めいた教訓が売り❤ しかも、冬になってキリギリスは死んじゃうし (苦笑)

我々日本人は春夏秋冬を通じて1年の区切りをつける。

この四季の中で冬がこの「蟻とキリギリス」のお話に圧倒的な現実感を持たせるのだ。

大抵の日本人は蟻型人間で、だからこそ今の便利な生活があるのだと思う。

だが、世界を見渡すと四季も無けりゃ、冬も無い国が多い。その国の人達はキリギリス型人間が圧倒的に多い。

勿論、僕が住む東アフリカにあるケニアと云う国も同じで、多くのAFRICA諸国はキリギリス天国と言っても良い。

1年を通じて区切りと云うモノが付け難く、雨が降るか?降らないか?なんとも起承転結の無い感じ。

簡単に言えば「雨が降ってから畑を耕し始め」「鳥が飛んでから追っ掛け始める」人達(笑)

「下手な考え休むに似たり」と事が起こるまではな〜んにもせんで良し!

長い間、昨日、今日、明日だけでやってこられた人達。

彼らはダラダラとエンドレスに続く毎日の繰り返しで永遠を感じる。

我々蟻型人間から見れば「アホか?お前ら?」としか言えない奇想天外な連中がキリギリス型人間なのだ。

バカ、アホ、低能、サル以下、、、僕もそのどれもが大嫌いだ。

モラルの問題?それは以前、僕も考えた事があるが、矢張りこの根本にあるのは蟻型人間とキリギリス型人間の差だ。

そしてこの両者は対極にいる。

実際、冬が無くキリギリスがキリギリスとして生涯を全う出来る国で、蟻的生き方を諭しても全く意味が無い。

先のイソップ童話もキリギリス側に言わせれば、蟻が只のけち臭い人でなし、情の無い冷血人間なだけだろう。

「なぜ?キリギリスを助けてやらなかったんだ!」と(苦笑)

スネ夫やスネ夫のママみたいなのは、、、やっぱり僕も嫌いだ(苦笑)

ことNGOMAに関しては、このキリギリス的ボォ〜ッとした、超快楽主義が非常に有効で、

場当たり的な(しかし、凄いパワーを持った)瞬間的、且つ超・現場主義的な姿勢が重要になる。

子供達に太鼓を教えてみると、日本人の子供達の方が総じて器用な子が多い。いや、要領が良いと呼ぶべきか?

逆にキリギリス国の子供達は要領が悪く、不器用な子が多い。

しかし、この器用な子達は器用貧乏、又は没個性のジレンマに陥る事が多く、

不器用な子がその芸を習得した時には、非常に個性的な面白いモノになっていることが多いのだ。

これには蟻的社会でのそれぞれの役割と、キリギリス的社会での役割の違いもあるだろう。

時代は変わり、世界も狭くなり蟻とキリギリスが共存する事が多くなった今、

(どうしてそうなったか?は一考に値するが)

本来は蟻型とキリギリス型、どちらにもその良さがあるので、お互いに尊重し合い、お互いの良さを学べるのが理想だが、、、

まあ、相当難しい事には違いない。


*目次へ戻る

 

inserted by FC2 system