映画を娯楽と捉える人、時間の芸術だと言う人、又は単なる暇つぶし、色んな人がいるけれどそれはそれで好い。
僕のコレクションの中にもその全てがある。
また、同じ映画を何度も観る人がいるが(僕のその一人)
それは何故だろう?
何故?何度も同じ映画を観て、ストーリーも結末も知っているのに楽しめるのだろう?
音楽に関してもある程度同じ事が言える。
自分の記憶との照らし合わせ?脳内バーチャルを楽しんでいるのか?
記憶と言うのはひどく曖昧なものだから、そのズレを楽しんでいるのか?
又はここを奪われた場面を再び味わいたくて観る=つまり無い物ねだりなのか?
何度も言っているが、最近の映画はツマランものが増えた!!少なくとも僕にとっては。
最新技術やCGをふんだんに使ったり、3Dで観ようが駄作は駄作だ。
オマケに映画は短くても90分は掛かるから、つまらない映画を観た時にはドッと疲れると共に
「俺の時間を無駄にしやがって!」と怒りさえ込み上げてくる。
その原因は先ず、本当に良い脚本が少ない。結果として旧作のリメイクやマンガや小説の映画化が増える。
また、その逆効果としてただ奇抜なエンディングに終始した脚本だったりすると、一度観たら
「はい、さようなら」となり
とてもじゃあないが二度は観れない。こんな作品ばかりが増えてしまった気がする。
僕にとって何度も観れる映画とは、脚本が素晴らしく+出演している俳優達の演技に魅了されるのが大前提。
そして、深く記憶に残るシーンがあれば最高だ。
こういったモノは純粋な好みだろうし、各自が自分にとって最高の映画、特別な思い入れのある作品があるのだろうが、
それを妨げているのが、映画を単なるビジネスとして考えている連中だ。
確かに映画はお金がかかるし、当たればボロ儲けだろう。制作に掛かる資金は半端では無いだろう。
だが、この金持ち達は別に映画が好きなワケじゃなく、お金が好きなだけだ。
こういった連中の為に費やす時間や金は全く無意味に見えてしまう、不純だよ、不純。
本当に映画とは色んな人達の手によって複雑な人間関係&力関係で出来上がるモノだろうから、そう簡単な話では無いだろうが、、、
娯作品でも芸術作品でもやはりそれは創る人が創りたいものを創るべきだ。
それを我々が自分の好みに合った作品を選んで観ればよろしい。
音楽でも同じ、単なる自慰行為と同じような作品もあるだろう、だが、数売れた、多数に愛されたモノだけが素晴らしいのでもあるまい。
逆にゲロとクソを混ぜたような作品でも、誰か一人は「これは天才だ!」なんて云う奴がいる。
所詮芸術なんてそんなもんだ。優劣なんかを付ける類のものではない。
若しあなたが
今よりももう少し映画について知りたければ、好みの映画を書き出してみよう。
すると、そこに何らかの基準が見えて来るはずだ、贔屓の俳優や監督、作風についても、そこから出来ればもう一人の大事な役割
撮影監督についても調べてみると良い(最近はネットでスグに調べられるしね)
色々な人達が関わって出来上がるのが映画だから
知れば知るほど面白くなるのも事実。
ただし、最大限に優先するのは自分の感じたこと、バカな批評家や宣伝は放っておいて、
まず、その作品を観て自分がどう感じたか?が一番重要だ。その上で先の記録的なものを掘り下げると
更に映画を観るのが楽しくなるだろう。
とかく、我々日本人はその各作品のデータ集めだけに終始して、肝心の自分の気持ちや感覚を分析したり掘り下げたりする事が無いので
要注意!
これはくだらない学校教育の影響もあるんだろうなあ。
芸術は論理や時間を飛び越えて、時としてもの凄い力を持つ。だからこそ、時の権力者達は彼ら(芸術家)を懐柔したり弾圧したりしてきた。
僕にとって映画とはある程度の知的会話が出来る人が話題に出来る優れたエンターテイメントだ。
そこには単なる娯楽作品もあるだろうし、深遠なる隠喩を見事に使った芸術作品もあるだろう。
だから、何度も観れない映画は駄作だし、超大スペクタクル映画である必要もない。
兎に角、作者が本当に作りたい作品を創る、これが基本だ。
まあ、結果として思うとおりに出来なかったとしても。。。
だから、僕はWoody
Allenが大好きだ
。
|